五木寛之さん... この夏船窪小屋

五木寛之さん…この夏船窪小屋


 お盆帰国に合わせ1年1度だけの山登り。と、いうよりは3食お世話して戴ける山小屋巡りかも(今年はとびきり孤食死を免れました(⌒▽⌒) 
北アルプス船窪小屋のお父さんお母さん素朴なペンパさん美しいお姉さん(地元女子高ワンゲルの"小屋ノート"から)、"幸福時光"本当にありがとうございました。


2日午後前泊の大町で、駅前シャッター通りから東山の山岳博物館目指してトコトコ登っていくと、手前子供集会所の傍に、1960年帰国した戦前戦時強制徴用の朝鮮の人たちの記念碑がありました:「さようなら、…安曇野の美しい桜が永遠に咲くよう!」
その夕、山岳いとう旅館で見た日経新聞、作家の五木寛之さん「山河破れて国あり―私達日本人は、これから放射能と共存して行かねばならない……」「敗戦の夏、中学一年生で平壌にいた。……私たち家族は、何の疑いもなく現地にとどまっていた。1カ月で母を亡くした。」
そう言えばあの"赤い月"の作詞家なかにし礼さん一家も旧中国東北の引揚者でした。


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写真は指でヾ拡大ヾできます.。。gooブログ "ROCKY MUSEUM"


登山の方は、3日朝から今回で三度目の深々緑潤う七倉尾根を船窪小屋へ、翌小雨煙る4日はお母さんの「ゆっくりしてらっしゃい」の一言で停滞。5日御来光の早朝から"来たー‼"のブンブントンボの荷揚ヘリを見上げながら、北アルプスど真ん中最低標高の緑樹滴る船窪稜線を楽しみました、一気に碧水のダム湖まで落ちるガレは凄いですね。

翌日は竹村新道は諦め ‐ ‐ また今度! 数十年前来た時より何か乾いた感じのブナ立て尾根を下山~ここまでは最新トレラン靴で羚羊の如くひらひらと。高瀬ダム七倉を越え大町ダム下エネ博まで歩き通しました、輝く夏の驟雨も、高瀬ダムから4時間強、最後は大腿脹ら脛ともスト上下せず( ´ ▽ ` )ノ…..市民バス最終は土曜14:30平日16:30、200円(日祝運休)。駅まで稲穂美しい田園をぐるぐる40分、でも地元のおばあさんのおしゃべり、この夏天気が変だ、さらにここ農家の若いお母さんのとても悲しい話も。



'この春'新宿のOLから、一念発起?北アルプス随一、少しの太陽光発電とランプと囲炉裏の船窪小屋番娘に転身した美しいお姉さん、五木さんの記事役立ちましたか!お母さん、私の中国の家族、"ようこそ船窪小屋へ!"歓迎してくれますか?!  
船窪稜線で話し相手になっていただき、たまたま大町駅前でギリ発新宿行き経済バスまで教えていただいた、全て自前自力テント派山ガールの方も楽しい夏山ありがとうv(^_^v)


指でヾ拡大ヾできます.
110802 ~信濃大町==七倉。・゜・船窪小屋囧囧・°°・北アルプス船窪岳・°°・不動岳・°°・烏帽子小屋・゜・。高瀬ダム°°・七倉ダム°°・♨°°・大町ダム°°°・エネ博===信濃大町 ~
高瀬川3ダム1,280,000kW竣工1979年は、山向こう上高地梓川からの安曇3ダム900,000kW竣工1969年と合わせ、首都圏の電気を支える超大型揚水発電ダム群です。また船窪乗越∽針ノ木溪古道∽平ノ渡∽黒4ダム335,000kW完成1963年も。

〻学生時代・作家までー写真館 山の写真|.森村誠一公式サイト
morimuraseiichi.com/ p=21。。。……/ p=6

湯俣温泉にて、…伊藤新道を経て…上高地へ山旅をした。今は湯俣へ至る美しい林道は高瀬ダムの底に沈んで、長いトンネルの連続する道となった…登山者の姿はめっきり減って、昔の面影はないという

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。。。。。。。。。。。。。。。。。〻ちょっと立ち読み iiPhone博客〻
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在 2011-8-13,上午8:53,iPadから Zuoteng